2011年07月17日

コクリコ坂からを見てきました

先ほど、レイトショーで見てきました。
前情報はチラシに書かれていた文面のみで、宮崎吾朗監督の前回のゲド戦記のことがあったのであまり期待せずに。

観終わった直後の感想としては、「悪くないんじゃないの?」ですかね。
ただ、何が良かったのかと思い返すと特筆することがないのですが・・・。

キャラクターデザインは魔女の宅急便・海がきこえるでもキャラデザを担当した近藤勝也さん。動きや線のタッチが好きなアニメーターさんです。
そのおかげか、いつものジブリ映画のように入り込むことが出来ました。

ですが、いつものジブリ映画のようには物語が進まないというか、カットも「いつものジブリ」を意識したものではありませんでした。
パンフレットに宮崎吾朗監督のコメントが掲載されていましたが、それによると今作は追い詰められていたと。ゲドの事だったり、アリエッティが成功した(らしい)とか。
それでなりふり構わず、すり切れるくらい打ち込んだと。

その様子がちゃんと映像として出ていたと思います。
ジブリ映画を作らなきゃとか、宮崎駿の息子であるとか、そんなしがらみがゲド戦記ではあって、ナウシカやラピュタやもののけ姫で見たような演出やカットを多用していたように思います。
叩かれないように無難に収めようという感じですね。

それが今回がむしゃらにやったことで、宮崎吾朗監督自身の色が出たように感じられました。
吹っ切れたとは違う、「滲み出た」感じ。

アニメーション監督として経験が圧倒的に足りない以上、観終わったあとで最高にスカっとするとか、じっくり考えさせられたとか、そういった感想にはなりませんが、なんとなく良いものであったと思える出来にはなっていたと(なんかすごく偉そうだ・・・)。

ベテランジブリスタッフの絵柄を使ってジブリ映画ではないものを完成させた、という感じです。
それはそれで何気にすごいことをやり遂げたと素直に思えます。


舞台は東京オリンピックを1年後に控えた1963年。今から約50年前ですね。
土台がラブストーリーなので現代的な見かたになりがちだったのですが、途中で急に歌い始めたり、弁論や主張を始めたりと、昔の学生っぽい描き方があるたびに、「ああ、これは昔の話なんだ」と引き戻される事が多々ありました。
ただ、それが現代っ子にはよくわからないというか伝わりにくいかなとは思います。
防火水槽?のような場所に飛び込むことが何の抗議になるんだろう?とかね。どうしても冷めた見かたをしてしまったり・・・。

年代物の、部活塔のような建物が取り壊されるかもしれないというエピソードがあるのですが、掃除をしたり直談判に行ったり、情に訴えかけたりして最終的に取り壊しはなくなるのですが、これも現在だと無いよなーと思ってしまうわけです。
というか、この時代に学生だった人たちが現在の60歳台なわけで、それだけの情熱があった人たちがつくった社会が現在なのかと、憤ってしまいました。

でも脚本の宮崎駿さんとしてはそのことを申し訳ないと思って、裁定が覆るように描いたのかも知れないと思ったり。
現在60歳代の人が学生だった当時も抗議しても変わらないことが多かったのかもしれないですし。(先輩からしごかれた後輩が上級生になると同じように下級生をいじめてしまったりとか)


話が逸れましたね。
ジブリ映画として観に行くといつもと違う流れに戸惑ったり「こんなのジブリじゃない」と言ってしまうと思いますが、ジブリ映画を観に行くんだという先入観なしで見ればそこそこいい映画なんじゃないかと思います。


posted by ちびトロ at 00:16| Comment(0) | 映画・TV番組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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